「つげ義春のいるところ展」を観て散歩したくなった2026年02月22日

 調布市文化会館たづくり展示室で開催中の「つげ義春のいるところ展」に行った。入場無料だ。つげ義春は調布市に縁の深いマンガである。調布市在住の水木しげるのアシスタントになるのを機に調布市に転居した(1966年)。水木プロで働いたのは短期間だったが、88歳の現在も調布市在住だそうだ。

 私が初めてつげ義春作品に接したのは学生時代の1968年だった。書店の店頭で『ガロ 増刊号 つげ義春特集』をパラパラとめくって惹きつけられ、すぐに購入した。この増刊号の巻頭に載っていたのが『ねじ式』である。それ以降、彼の主要作品は読んできた。

 あらためてつげ義春ワールドにハマったのは6年前、2020年夏である。ふとしたきっかけで読んだ『貧困旅行記』に始まり、マンガや日記エッセイを読みあさり、DVDを観て、関連本も読んだ。あの時期に、手元の本との重複が多いのを承知で、ちくま文庫の「つげ義春コレクション(全9冊の全集)」も入手してしまった。

 「つげ義春のいるところ展」は、マンガの原画、古い貸本マンガ、昔の写真、識者や関係者のコメントパネルなどを展示している。つげ義春の現在(だと思う)を撮影したビデオも流している。

 『海辺の叙景』全ページの複製原画に魅了された。「複製」とあるが原画そのものに見えた。あの有名なラストの見開き「いい感じよ」は迫力があり、やや不気味でもある。

 『李さん一家』の李さんのフィギュアなども展示している。物販コーナーもあり、『ねじ式』のキーホルダーを買った。『ねじ式』のTシャツにも食指が動いたがS以外は売り切れだった。

 今回の展示で興味深かったのは、調布風景である。つげ義春のマンガには調布市内と思しきシーンがいくつもある。それらを拾い出したコマと、実景写真をパネルで並べて展示している。わが家の近所と思しき情景もある。

 帰宅後、『近所の景色』『散歩の日々』などを読み返し、調布風景らしきコマを確認した。いずれ、もう一度「つげ義春のいるところ展」に足を運び、それぞれのシーンをよく確認したうえで、マンガ本を携えた市内散歩を試みたくなった。

自分のエッシャー鑑賞がいかにずさんだったかを知った2025年03月06日

『エッシャー完全解読:なぜ不可能が可能に見えるのか』(近藤滋/みすず書房)
 日経新聞(2025.1.25)や朝日新聞(2025.2.22)の書評が取り上げていた次の本を読んだ。

 『エッシャー完全解読:なぜ不可能が可能に見えるのか』(近藤滋/みすず書房)

 エッシャーの「不可能建築」と呼ばれる『物見の塔』『上昇と下降』『滝』などについて、視覚をごまかすためにどんな仕掛けが施されているかを読み解いた本である。とても面白い。著者は発生学・理論生物学の研究者である。本書の論考は著者の専門領域とも一部重なり合っている。

 私は約半世紀前にエッシャーの画集を入手した。それなりにエッシャーの版画に親しんできたつもりだ。本書は、その画集をめくりながら読み進めた。私が気づいていなかった指摘が次々に出てきて、自分がいかに観ていなかったかを認識した。同時に、エッシャー鑑賞の新たな醍醐味を知った。

 エッシャーの「不可能建築」は錯視を利用したトリック画である。錯視は面白い。私は、ペンローズの三角形(エッシャーは、これを『滝』に応用)の模型をペーパークラフトで作ったこともある。だが、エッシャーのトリック画を観て、フムフム面白いなと思うだけでそれ以上踏み込んで考えたことはなかった。

 著者は、単なる錯視トリックではエッシャーの作品のようなリアリティは得られないと指摘し、エッシャーが仕掛けたさまざまな仕掛けを解き明かしている。

 本書によって認識を新たにしたのは、錯視と遠近法の関係である。作品をリアルに表現するには遠近法が有効である。エッシャーの作品も遠近法を多用している。だが、遠近法を強調すると錯視効果が減衰する。錯視には遠近感のごまかしが関連しているのだ。私は、ペンローズの三角形の模型を作ったにもかかわらず、本書を読むまでその点に考えが及ばなかった。

 本書の最大のポイントは、遠近法と錯視を両立させるためにエッシャーが仕掛けた工夫の解明である。ナルホドと感心した。

 だが、私が最も驚いたのは『画廊』という作品が再帰的なドロステ画だとの指摘である。画面が極端に歪んでいくこの作品を、私は半世紀前に画集で観て、単純に「面白いな」と感じただけだった。これが再帰的な作品だとは昔から知られていたそうだ。あらためて画集の作品解説を読むと、ちゃんと書いてあった。検索すると、分かりやすい動画もあった。私は半世紀の年月を経て初めて気づいた。情けないが仕方ない。

 著者が指摘するように、内側の世界と外側の世界を融合させるために螺旋構造を用いるというアイデアは秀逸である。著者は、螺旋を描いて成長する結晶がヒントになったのではと推測している。サイエンスの世界である。

エジプト史を反芻しながら古代エジプト展を観た2025年03月02日

 六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催中の『特別展 古代エジプト』を観た。米国のブルックリン博物館所蔵の遺物約150点の展示である。

 150点と言っても指輪や円筒印章(転がすハンコ)などの小物も多く、比較的コンパクトな印象の展示会である。1時間ほどで回れるこの規模の展示会が私には最も心地いい。

 先日、古代エジプト史も含んだ『人類の起源と古代オリエント(世界の歴史1) 』を読了したばかりだったので、あまり馴染みのないエジプト史を反芻する気分で展示会場を巡った。ラメセス2世やアクエンアテン王(アメンヘテプ4世)など、わが頭にまだ多少の記憶をとどめている王に関連した遺品に遭遇すると、少しうれしくなった。

 会場に入ってすぐの場所に展示していた「貴族の男性のレリーフ」は、端正で魅力的な美術品である。描かれた人物については何もわからないそうだが、印象に残るレリーフだった。

 エジプトと言えばミイラである。展示しているミイラの棺には、数千年の時間を隔てた迫力を感じた。会場では、ミイラ作成の工程解説のアニメを上演していて勉強になった。展示品のなかには内臓(胃、肺、肝臓、腸)を別々に保管する壺があり、ミイラ作りのリアルを感じた。

田中一村の最晩年作に圧倒される2024年10月09日

 東京都美術館で開催中の田中一村展に行った。雨の平日の午前中だからゆったり鑑賞できるかなと思ったが、予想外の混雑だった。生前は無名だったこの画家の人気を再認識した。

 田中一村(1908-1977)は子供時代から画才を発揮し神童と呼ばれる。東京美術学校(現・東京芸大)日本画科に入学するが、家庭の事情で2カ月で退学し、中央画壇とは距離をおいた画家として69歳の生涯を終える。晩年の約10年は奄美大島に移住し、紬工場の染色工として生活費や絵の具代をかせぎながら画業を続ける。

 没後7年、NHKの『日曜美術館』などで取り上げられ、全国に知られるようになったそうだ。私が田中一村を知ったのは、ほんの数年前である。この展覧会のホームページの案内文に次の記述があった。

 「現在の東京藝術大学に東山魁夷等と同級で入学したものの、2ヶ月で退学。その後は独学で自らの絵を模索した一村。「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と述べたその機会が訪れます。」

 没後47年にしての念願の「東京で個展」は大回顧展になった。本人は、ささやかな規模でも生前に個展を開きかっただろうなあ、との思いがよぎった。

 子供時代から晩年までの作品を時系列に並べた展示を観ると、画風の変遷がよくわかる。と同時に、後年の作品に表れる特徴の萌芽を、それ以前の作品のなかに見出すこともできる。自分の表現を探求・深化し続けた画家だと思う。

 月並みな感想だが、やはり最晩年の大作「アダンの海辺」と「不喰芋(くわずいも)と蘇鐵」に圧倒される。本人が「閻魔大王への手土産」と言った大作である。最晩年の作品が最高傑作という芸術家はあまりいないと思う。早世した人なら最晩年作が最高傑作になるかもしれない。田村一村の場合は精魂尽き果てて逝ったように見える。

『デ・キリコ展』で感じたこと2024年08月17日

 東京都美術館で開催中の『デ・キリコ展』を観た。キリコは昔から気がかりな画家だった。子供時代に何かの本で見た『通りの神秘と憂愁』の強烈な印象はいまも残っている。無人の街に輪回しの少女の影が走る不気味な絵である。この絵でキリコに惹かれた人は多いと思う。今回の『デ・キリコ展』にこの絵は来ていない。

 私は半世紀前の1973年、『デ・キリコによるデ・キリコ展』を神奈川県立近代美術館で観ている。キリコが亡くなったのは1978年(享年90歳)だから、あの展覧会当時、キリコは85歳で存命だった。今回の『デ・キリコ展』に行く前に往時の図録をひもとき、記憶を多少は呼び戻せた。半世紀前のキリコ展の印象は「何だかなあ」という失望に近かった。

 キリコと言えば超現実的で静謐な情景を描く画家と思っていたが、超現実的な絵画は初期作品だけで、その後はフツーの古典的画風になる。そして晩年になると、初期の超現実絵画を稚拙に模倣したような作品になる。そんな変遷を観て無残な気分になった。

 だが、今回の『デ・キリコ展』では、私の感じ方がかなり変わった。キリコの全体像が肯定的なイメージに転換したのだ。事前にムック本やネットの動画解説などでキリコの生涯に関する知見を収集し、画風の変遷が自然で必然的な推移に思えてきた。私が齢を重ねたせいで、高齢者への評価が甘くなってきたのかもしれない。

 キリコは初期の形而上絵画の自己複製を生涯にわたって繰り返したそうだ。模倣でなく複製である。当初は「シュルレアリスム宣言」のブルトンの依頼に応えた複製だった。ブルトンと訣別してからも続けた複製は、初期の形而上絵画のみを評価するブルトンらへの批判的対抗意識のあらわれのようにも思える。

 絵画は一点物であるがゆえに価値が高いと見なすのは、おかしなことかもしれない。画家が依頼に応じて自己の作品を複製するのは、おかしな価値観への抵抗とも考えられる。自身の画風の変遷と並行して初期作品を複製するのは、精神の自由度が広がった証でもある。変遷とは経験を積み重ねていく拡大である。

 晩年の新形而上絵画を稚拙な自己模倣と見なすのは軽率であり、ポップでのびやかな老境の反映なのだと思う。年を取ると怖いものがなくなるのである。バイデンのようなボケかたはハタ迷惑だが……。

箱館戦争で敗れた武士が明治の浮世絵師に……2023年12月05日

 町田市立国際版画美術館で幕末明治の浮世絵師『揚州周延(ようしゅうちかのぶ)』の展覧会を観た。この絵師の名は、本展示を紹介した日経新聞の記事(2023.11.18朝刊)で初めて知った。

 私が興味を抱いたのは揚州周延の経歴である。高田藩士で本名は橋本直義、第二次長州戦争に幕府側兵士として参戦、戊申戦争で彰義隊として戦った後、榎本武揚の艦隊に加わって箱館へ行く。榎本軍の降伏で江戸に送られ、その後、浮世絵師になったそうだ。私は榎本武揚ファンなので、展覧会に行けば榎本武揚や箱館戦争に関する新たな知見が得られるかもしれないと期待したのである。

 この展覧会の正式名称は『揚州周延 明治を書き尽した浮世絵師』、数百枚の明治浮世絵を展示している。題材は多岐にわたる。美人画や役者絵だけでなく、西南戦争、日清戦争、日露戦争を描いたものや、江戸時代を題材にした絵もある。しかし、私が期待した箱館戦争の絵は確認できなかった。

 幕府側で最後まで戦った武士が明治になって浮世絵師に転身したのだから、何等かのこだわりで箱館戦争を描かなかったのかなと思った。だが、考えてみれば、揚州周延は職業絵師である。箱館戦争は売れる題材ではなかったのかもしれない。

 展示の中で榎本武揚を描いた絵が1枚あった。明治19年の「扶桑高貴鏡」という絵だ。天皇・皇后らしき人物の回りに12人の重臣の肖像画を配している。その肖像の一つが「逓信大臣榎本武揚公」である。揚州周延がどんな思いで榎本武揚を描いたのかはわからない。

 購入した図録にはやや詳しい揚州周延紹介が載っている。それによれば、武士らしい気性をまとった人だったらしい。「酒の席ではその過去を得意談とし、箱館戦争が面白かったなどと話すおおらかさを持っていたようだ。」ともある。その得意談を絵で残してほしかった。

サグラダ・ファミリアの進捗状況に驚いた2023年08月24日

 東京国立近代美術館で『ガイディとサグラダファミリア展』を観た。ガウディの建築物はいくつか見ているが、ガウディ本人についてはほとんど知らなかった。ガウディの伝記的な展示によって、普通に建築学を習得して建築家としてスタートした人だと知った。もっとエキセントリックな人物を想像していた。

 サグラダ・ファミリアの起工は1882年、141年前だ。ガウディはその翌年に就任した2代目の建築家だった。就任したときは31歳、1914年(62歳)以降は他の仕事から手を引いてサグラダ・ファミリアに専念、1926年(73歳)に交通事故で死去する。

 私は15年前の2008年にサグラダ・ファミリアを訪れた。あわただしい観光で、エレベータで上まで行って階段で降りてきたのを憶えている。工事中の教会という印象が強かった。

 寄付金を集めながら100年以上にわたって工事中のサグラダ・ファミリアを観て、完成予想図を知ったとき、完成までにはさらに何十年もかかるだろうと思った。

 今回の展示で現在の状況を知り、その進捗ぶりに驚いた。チラシに載っている写真が現在の姿だ。中央部分の巨大な「イエスの塔」が姿を表しつつある。この塔は2026年完成予定だそうだ。

 サグラダ・ファミリアには永遠に工事中という独特の魅力があると感じていたが、この状況だと、私の存命中に竣工する可能性もある。目出度いような残念なような、複雑な気分である。

古代メキシコの遺物には独特の魅力がある2023年08月04日

 東京国立博物館で開催中の『特別展古代メキシコ』を観た。マヤ文明、アステカ文明、テオティワカン文明の遺物を展示している。

 古代メキシコ文明や南米のインカ文明は、私の頭の中では世界史の一部というよりはSFの世界に近い。これらの文明については、歴史書ではなくSFや伝奇読み物で接する機会が多かったからだ。そんなイメージが大いなる偏見だとは自覚している。

 東西に広がるユーラシア大陸に発生した四つの文明(中国、インダス、メソポタミア、エジプト)は互いの交流もあったし、それを継承した後世の新たな文明・文化が思い浮かぶ。しかし、南北に広がるアメリカ大陸で発生した文明は、互いの交流はあったにせよ全体として孤立し、それを受け継いだ文明はないと思える。スペインのコンキスタドール(要は銃と病原菌)によって滅ぼされた「絶滅文明」である。

 そんな絶命文明の遺物には、ユーラシアの文明とは異質の独特の魅力がある。展示されてている土器やマスクや石像の多くは、大胆かつおおらかな造形で、ユーモラスでもある。生命力を感じる。遺物のなかには人身供犠に関連したものもあるらしい。生贄と生命力の結びつきに文明の不思議がある。

 「死のディスク石彫」は太陽の中央に舌を出した髑髏を配置した巨大な造形だ。西に沈んで東から上ってくるまでの間の「沈んだ(死んだ)太陽」の姿を表し、死と再生を暗示しているそうだ。変に理屈っぽい造形にSFを感じた。